京都のことを考えると変な気持ちになる
何かふとした瞬間,あの時に戻れたら,あの頃に戻れたら,と思ってしまうことがあります。あの日寝過ごさなかったら,あの日あの質問をしていたら,あの日あのワンピースを買っておけば,あの日コンビニでお金をおろしておけば,などなど。
私は大学時代を京都で過ごしたのですが,そこでの生活にあまりにも後悔するところが多く,卒業してから今までずっと,京都は私にとって苦しい場所になっています。京都旅行に行くと,そこかしこに当時の自分が見えます。四条大橋,三条のスタバ,藤井大丸,祇園,銀閣寺,どこにでもいます。当時はもちろんすごく楽しかったはずなのだけど,後悔の念がおしよせてきて目眩がします。
どうしてもっと授業に出なかったのだろう,どうしてもっと真剣に試験に取り組まなかったのだろう,どうしてバイトばっかりしてサークルに入らなかったのだろう,どうしてもっと英語を勉強しておかなかったのだろう,ああーーーーーという…
とはいえ,ピンポイントで大失態をしてしまったのなら,その時のちょっと前に戻って気を遣うことで回避できますが,毎日の積み重ねの場合,当時に戻ったとして果たしてうまくいくのかという問題もあります。ワンピース買っておけばというのと,あの頃もっと勉強しておけばというのは,回避すべきもの・ことの量が全然違います。結局戻ったとして自分にはできなかったような気もします。
また,「じゃあどうなりたかったの?」「今どうなっていたかったの?」というと,それもいまいちよくわかりません。超でかい会社・事務所に勤めて1日2時間睡眠で大金稼ぎたかったのかと言われると,答えはNOです。(負け惜しみじゃないですよ。)
何が何だかわかりませんが,とにかく無為に過ごした記憶があり,今の自分に対する不満をその時のせいだと思いたいだけのような気がします。大学院ではそれなりに勉強していたので,今その地域に戻っても特に辛くなったりしません。京都だけ,私を変な気持ちにさせるのです。
今の自分に不満がなくなればいいのかなあと思ったり,でもそんな日はきっと来ないなと思ったり。とりあえず今もっと勉強することで自己肯定感を高めようと思います。精神的貧乏性は困りものです。
毎年夏はつじりのかき氷を食べていました。今でも食べないと気が済まないし,そして食べると京都を思い出すし,一種の自傷行為を繰り返しています。
緑寿庵清水本店のすぐ近くに住んでいました。今でもプレゼントに重宝しています。阿闍梨餅も大好きです。