おのぼりOL適当日記

おのぼりアラサーが東京で共働き子育てをするブログ。保有する資格,所属する組織とは全く関係なく,個人的意見・思想に基づいて書き散らします。

語学とコミュニケーションについて,思わず考えさせられた話

東アジア圏の某国に出張に行ってきました。

街の綺麗さとか食べ物の美味しさとか,色々ありますが,今回,私の人生において特に貴重な経験をしたので記しておきます。それは「歓迎すべき外国人」としての扱いを受けたことです。語学能力やコミュニケーションに能力について考える良い機会になりました。

 

今回訪問したのはうちの会社の子会社です。そこでは一応私は「本社から来た人」です。そうなると基本的に歓迎モードであり,私のわかる言葉で話そうという雰囲気になります。それにもともと本社とのやりとりは日本語か英語ですし。

 

 

ある言語が「できる」ということ

突然見出しをつけてみましたが,ある言語が「できる」というのは色んな意味があるな,と思いました。

例えば,ある人はものすごく語彙が多い

ある人は語彙はそこまで多くないけど,とにかく即座に応答できる

ある人はすぐに言葉に詰まるけど,発音が異常に良い(ほんと最初日本人かと思ったくらい)

 

もちろん,語彙が多くて,すぐに応答できて,発音が良いのが一番良いけれど,別にそこまでいかなくとも十分日本語「できる」と言って良いのじゃないかなと思いました。というか,完璧を目指しているといつまで経っても喋れないし,拙い日本語であっても積極的に話しかけてくれる人には大変好感を持ちました。

しかしながら,やはり,リスニングは非常に重要だと思いました。聴けるけど話せない人は沢山いましたが,話せるけど聴けない人はいませんでした。

 

 

ある人の分からない言葉で話すということ

私は某国人の同僚と共に出張しました。彼女は日本語含むトリリンガルなのです。

 

日本本社の会社であり,私が日本人であることから,現地の方々はできるだけ日本語で話そうとしてくれましたが,それでもやはり意思疎通が難しい場合,同僚に現地語で話して,その同僚が日本語に訳して私に伝える,ということが行われました。

これは非常に便利なのですが,たまに,現地の数人+同僚間で現地語で話が終わってしまい,私まで伝わらないことがありました。ビジネス時はさすがにそうは行きませんが,ほんのちょっとした話,例えば何時に着いたのとか,○○はもう食べたかとか,そういうレベルの話です。これは同僚でも答えられるので,その場で答えて終わってしまいがちです。私にいちいち「明日は何時に出るのかと聞かれたので6:30と答えました」って言うのは大変ですから。

それでも,やっぱり,同じ空間にいるのに,一人だけ話が分からずただニコニコしているだけというのはちょっとしたストレスでした。

同僚は結構早めに気づいてくれて,その後はほぼ全てについて話を共有してくれました。

 

我が身に置き換えて,英語について考える

今回は私が「外国人」でしたが,これが逆の場合はどうでしょうか。

アメリカ人が本社に来たとき,多くの日本人は「自分の英語なんて」と思って,遠慮してしまって,なかなか話せない。話してもわざわざ「自分の英語はあまり良くなくてごめんなさい」とか言う。または語彙力も発音も完璧な人に窓口を任せてしまって,自分たちは日本語で会話してそのままとか。すごく,ありがちです。

 

今度アメリカ人の同僚が来るときは,もっと積極的に話そうと思いました。拙い英語であっても笑顔で話しかけたら好感を持ってくれそうな気がする。

そして,英語が出てこなくて身内で日本語で話すときは,ちゃんと「ちょっと待っててね,ごめんね」と言う。終わったら「お待たせ」と言う。(これは今までもできるだけ心がけていたけど,徹底できていなかった気がします)

私よりはるかに英語が「できる」人に通訳してもらうときは,雑談もきちんと伝えてもらう。通訳してもらうときであっても,私は相手の目を見て話す(通訳に向けて話すというのはありがちだけどコミュニケーション上よくないと思った)。

 

 

まとまりありませんが以上です。TOEIC⚫︎点とかはかっこいいけど,コミュニケーション方法としての語学,という側面を忘れてはいけないなと思いました。